Yurie Tanimichi

Yurie Tanimichi

東京都出身。京都大学法学部卒業。名古屋大学国際開発大学院修了。カリフォルニア大学バークレー校農業資源経済学博士号取得。博士課程在学中にアジア開発銀行で夏のインターンを経験。また在学中にオーストリアのInternational Institute for Applied Systems Analysis (IIASA) やLawrence Berkeley National Labで気候変動のモデルの研究プロジェクトに参加する。博士号取得と同時に世銀にヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)で入行。以後、中東・北アフリカ地域総局、ラテンアメリカ・カリブ海地域総局で農業プロジェクトを担当。 2010年からは世銀のグローバル農業政策を担当する部門に異動し現在に至る。

第34回インタビュー 2011年6月7日

谷道ゆりえ上級エコノミスト

世界銀行 農業・農村開発局

シンプルで好感度の高い装いでインタビューに現れた谷道さん。常に言葉を選びながら落ち着いて質問に答えるその姿からは、試練を乗り越えて着実にキャリアを積んできた様子がうかがえる。「苦労はしておいたほうがいい」という彼女に、今までのステップや博士課程留学、そして世銀での部署異動について語っていただいた。

将来への意識を変えたメキシコでの体験

父の仕事の関係で、生まれはフィリピンのマニラ、小学校時代はカナダのバンクーバーで、中学、高校、大学は日本で過ごしました。気がつけば「将来は英語を生かして国際関係の仕事ができたらなぁ」と漠然と思っていましたね。初めて開発という仕事を意識したのは、大学生のとき父の知り合いを訪ねてメキシコに行ったとき。2か月ほどかけて、メキシコシティからユカタンなど南部の方にバスで下っていったんですが、初めての途上国ということもあって、大きなカルチャーショックを受けました。日本を出発する前は明るいラテン文化をイメージしていたんですが、子どもの服装や人々の生活ぶりに表れている貧しさに驚きました。アジアも見てみたくて4年生のときに旅行したインドやタイでは、路上生活者や人口密度の高さなど、メキシコとはまた違う形の貧困を目の当たりにしましたね。

開発経済の道へ

大学で法学部を選んだことに特に意味はありませんでした。でも、旅を経て開発に興味が出てきたので、専攻を決めるときに国際法を選びました。ところが、教授と話していたら「開発に興味があるなら、法律よりも経済を勉強したほうがいい」と言われて。大学を卒業するときに就職も考えたんですが、大学院で開発経済を勉強しようと思い、自分の関心により合っていると感じられた名古屋大学の院に入ることを決めたんです。

大学院ではミクロ経済の一分野である農業経済を学びました。フィールドに近い経済がやりたかったので満足でしたね。特に修士論文の研究のために1~2ヶ月フィリピンの農業大学に行く機会もあり、卒論ではココナッツ産業について書きました。経済を学んでいるうちに元国連の方などに会う機会も増えたんですが、皆さん口を揃えて「国際機関にエコノミストはたくさんいるから、エコノミストとしてやっていくなら博士号を持っていないとダメだよ」と言うんです。「じゃあ博士号を取るか」ということで、海外の大学院にいくつか応募しました。

博士号を取得するまで

Yurie Tanimichi受かった学校のうち、周りのアドバイスも踏まえてバークレーにある、カリフォルニア大学を選択。応用ミクロ経済の農業資源経済を学びました。2年か3年のときに、世界銀行からヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)のリクルート担当の人が学校に来たので、履歴書を見てもらったのですが、その時に「あなたは学歴はあるけど、職歴がほとんどないので夏休みは外に出るべきですね」と言われて。そこで何かないかと探したところ、大学の隣にアメリカのエネルギー庁管轄の国立研究所があったんですね。そこでは途上国の排出量のCGモデルやシナリオについての分析の研究がされていました。学生ビザのままでも働くことができたので、博士課程の最後の1年半ぐらいは、ほとんどここで気候変動についての研究をしていました。また、3~4年の夏にはオーストリアの気候変動の研究所でも研究をしました。

私自身は、最初の1年はアジア経済研究所の奨学金を利用して留学しましたが、アメリカの大学の博士課程に留学する場合、必ずしもお金を貯めてから応募する必要がないことをアメリカに来て知りました。実際外国人クラスメイトで奨学金を利用している人はほとんどいませんでした。アメリカで、それなりのレベルの大学が博士課程の学生を受け入れるときには、最低限生活できるだけのお金が支給される場合がほとんどです。私の場合、当時で月額1500ドルほどが生活費として支給され、その代わりに教授のリサーチアシスタントやティーチングアシスタントを週に20時間ほど課されました。なお、このようなアシスタントの仕事も最初の1~2年は免除されることが多いように思います。もちろん、こういった生活費をもらい続けるためには、成績をある程度キープすることが求められますが、博士課程はやる気さえあれば外部からの金銭的なサポートはなくてもやっていけると思います。

YPPを利用しての世界銀行入行

博士号を取った後、このまま大学に残るか、農業や環境の研究所に行くか、国際機関を目指すか悩みましたが、特に興味があった世界銀行のYPPに応募し、幸運にも入行することができました。最初は中東・北アフリカ地域総局の農業セクターに配属になったのですが、上司が、私とすれ違いでインドで在宅勤務に入ることが決まっていて、最初からびっくりしましたね。この例からもわかるように、世銀は、けして何から何まで面倒をみてくれるというような組織ではないので、その辺は図太くないとやっていけないかもしれません。中東・北アフリカ地域総局では、主に土木エンジニアや灌漑のスペシャリストが活躍していて、世界銀行の伝統的なインフラのプロジェクトに携われたので非常に勉強になりました。

Yurie Tanimichi当時YPPでは、9ヶ月ずつ2つの部署を経験することになっていたので、次にラテンアメリカ・カリブ海地域総局の農業セクターに異動しました。この異動も、人事部から辞令があるのではなく、自分で探さなければいけないんです。私のYPPの同期の3分の1ぐらいは、既に世銀でコンサルタントとして働いていた人たちだったので世銀の仕組みや風土をよく知っていたり、それなりにコネクションもありました。最初は遅れをとったような気もしたが、同期とのいい意味での競争は大変刺激になります。たとえば、同期の書類を見ると、「使用できる言語」のところに大抵2つ以上の言語が記入されているんです。国連公用語しか記入されないので、日本語はダメ。私は英語しかなかったので、すぐに「世銀では英語以外にもうひとつ語学ができないといけない」と感じました。

当時少しはスペイン語ができたんですが、仕事で使えるレベルには達していませんでした。それもあって、あえてラテンアメリカ・カリブ海地域総局に「スペイン語はすぐに身につけるから、ぜひ雇って欲しい」と言いに行って。そこで仕事を始める前には、6週間ほどグアテマラに語学留学をさせてもらったこともあり、スペイン語を習得することができました。あまり知られていないかもしれませんが、世銀は語学を身につけるためのサポートはとても充実していて、本部の中にも語学のトレーニングセンターがあるんですよ。私もスペイン語を習得するために、毎日通っていた時期もありました。

『3・5・7』ルールとは?

エンジニアが活躍していた中東・北アフリカ地域総局とは対照的に、ラテンアメリカ・カリブ海地域総局ではよりソフトな分野、例えば環境にやさしい農業の推進、土地行政、農村開発や農家に助成金を出して、新しいテクノロジーを採用してもらう、いわゆるマッチンググラントなどが主な仕事。中東に比べて中南米はNGOが活発で、欧米の思想やメッセージが農村に浸透していることが最初は大きな驚きでした。農家の人と話していて、例えば「道路が欲しい」「所得を上げたい」というようなことを言われると思ったら、実際に彼らが言うのは「川の水が汚れて困る」とか「これ以上木を伐採して欲しくない」とかそういったことなんです。ずっとひっかかっていたんですけど、3~4年目になってやっと、彼らは国際機関の人たちに好まれるような話題をわかっているんだと聞いて納得しました。

Yurie Tanimichiもうひとつ目から鱗だったのは、日本の戦後の成功というのはある程度世界で認められていると思っていたんですが、必ずしもそのやり方が現在主流ではないということ。日本人の感覚でいくと、「貧しければまずは所得を上げないと」と思うのですが、彼らには彼らのやり方がある。例えば日本の農業で、それまでは大地主が持っていた農地を分割して、小農を良しとする戦後の農地改革は評価されていますよね。でも中南米で同じようになされた農地改革は、非常に評判が悪いんです。小農にすることによって競争力がなくなってしまう。日本はそこを補助金で補ったわけですけれど、途上国に同じ方法がとれるわけではない。このことから、ある国で成功した事例をそのまま他の国に持ち込んでも、必ずしもうまくはいかないんだ、ということを実感しました。

世銀には『3・5・7』のきまりがあります。簡単に言うと、「3 年は同じ部署にいたほうがいい(3年経ったら新しい部署を探すべき)。5年同じ部署にいたら危機感を持って新しい部署を探せ。7年同じ部署にいたら、本人以上にマネージャーの責任」というイメージでしょうか。私はYPPからそのまま6年ほどラテンアメリカ・カリブ海地域総局で仕事をしたので、6年目にはさすがにそろそろ新しい部署にいかなければと思い、部署探しを始めました。その頃には小さな子どもがいたので、出張がだんだん負担になり始めてもいて。出張が少なく、農業というキーワードから離れない部署、ということで応募したのが今いる農業・農村開発局です。ここは地域ではなく、テーマの担当を持っている150名ほどいる局なんですが、農業、漁業、森林などのサブセクターで分かれていて、私は農業政策チームに所属。世銀全体の農業に関するあらゆる対外的な対応や、立場を決定する仕事です。今までのクライアントが途上国の政府だったのに対して、今のクライアントは世銀のシニアマネージメントが半分、ドナーが半分という配分。開発のまた違った側面を見ることができて、とても面白いですね。

開発の仕事を目指している方々へ

Yurie Tanimichi国際機関を目指すのであれば、まず語学は絶対ですね。スペイン語で仕事をしてみて、得意ではない語学で仕事をするのがどれだけきついことかを実感したので、これは特に強調しておきたいです。TOEICとかそんなレベルではなく、ある国の大臣と交渉できる高度なレベルが必要と思って勉強してください。

あとは、開発の仕事とひと口に言ってもさまざまな仕事があって、世銀の仕事はどちらかというと中央官庁の仕事が近いんじゃないかと個人的には思います。ですから、官僚的なの仕事にはまったく興味がないという人は、もしかしたら世界銀行ではなくほかの組織の方が合っているのかも。常にフィールドでの開発に関わりたいのであれば大きなNGO、プロジェクトがやりたいのであれば例えば国際協力機構(JICA)のような総合的な組織というように、自分が何をやりたいのかを意識して進路を決めることは非常に重要なんじゃないかと思います。逆に言えば、途上国の役人と政策の協議ができることが世銀の醍醐味なので、そういった仕事に興味がある人にはぜひ志望して頂きたいです。皆さんのご健闘をお祈りしています。

世銀スタッフの横顔ホーム