Yoko Onizuka

Yoko Onizuka

神奈川県出身。日本において自治体と地域の活動を融合させたコミュ二ティ教育を経験後、会計士および管理会計士としてアーサーアンダーセンにて監査および財務関係のコンサルティング、そしてニューヨーク国連本部にて国際連合人道問題調整事務所および旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷計画予算に従事。2002年世界銀行入行。世界銀行グループレベルの予算計画および組織の目標、計画などの進捗状況の監視および報告を企画・担当。2006年より南アジア地域総局に所属。横浜国立大学教育学部卒、ジョージタウン大学大学院経営管理学修士号取得。

第41回インタビュー 2011年11月1日

鬼塚陽子上級資金管理担当官

世界銀行 南アジア地域総局 資金管理ユニット

いかにもキャリア女性らしい、きちんとしたジャケットにストライプのシャツでインタビューに現れた鬼塚さん。ご両親が教師だったという環境に育ちながらも、自分の興味をもったことを追求する姿勢は見事。「人は誰でも基本的な権利を持っているはず、ということは幼いころから自然と信じていました」という彼女が、国際機関への興味を実現するに至ったその経緯とは?

親の期待に添うつもりでいた高校時代

中学・高校と私立の女子校に行っていて、受験のプレッシャーもなく6年間平和に過ごしました。みんなでお菓子を作ったり、バレーボールを楽しんだり、先生に見つからないようにこっそり遊びに行ったりと、青春を謳歌していましたね。本もたくさん読みました。進学の準備を始める高校3年生の頃には心理学や精神医学に興味があったのですが、教師だった両親に勧められ、将来の仕事のことも考えて横浜国立大学の教育学部に進学を決めました。親から自立して1人暮らしをしたい、というのが当時の私の強い希望だったのですが、「教育学部を出れば、一生続けられる教師の仕事に就けるから」「国公立大学なら下宿費をだしてもいい」というのが親からの希望でした。

教えることに向いていないと悟ったある事件

でも、大学に入ってしばらくして後悔しはじめました。自分の興味のあることがわかっていたのに違う道を選んでしまったので、講義やゼミに参加してもあまり熱心になれませんでした。「試験に合格すればいい」「就職できればいい」という甘い考えだったけれど、就職につながろうがつながるまいが、自分の興味のあることや、能力をためせることに向かって進むべきだったんです。

大学では家庭教師のアルバイトをしていました。部活はオーケストラに興味があったのですが、オーディションがあると聞いて恐れをなして、みんな一からの挑戦だと思われる少林寺拳法部に入ったんです。こういうところは、我ながらチャレンジ精神が足りないですね(笑)。休暇には貯金をはたいて、バックパックを背負ってヨーロッパを1か月間旅したりもしました。

教育学部ですから当然教育実習があるのですが、理科の野外観察の時間に、私よりも大きな声で関係ないことをしゃべり続ける生徒につい必要以上にきつく叱ってしまったことがありました。担当の先生はとても親切な方で幸い何の問題もない評価をくれたのですが、この経験で自分が思ったよりも教えることに向いていないこと、特に多種多様なこどもたちに教えるというのはとても難しいということを実感しました。

「ジェネラリストにはなりたくない」と留学を決意

Yoko Onizuka大学を卒業後、初めて勤めたのは地元の役所です。新卒には窓口を担当させるという方針があって、病院の窓口でパートタイム勤務の従業員の方たちを管理するという仕事を1年ほどしていました。その後、生涯教育の部署に移り、自治体が主催するイベントを計画したり、ボランティアと一緒に自然観察をするといった仕事を担当しました。仕事の内容はとても楽しかったのですが、何年か勤めているうちに仕事内容がほとんど変わらないことに気付いたんです。おそらくしばらくしたら異動させられて、まったく違う分野の仕事をさせられるだろうという予想もついて、自分がジェネラリストへの道を歩んでいることをひしひしと感じました。その頃プライベートではアムネスティや他のNGOの会員になったりしていたこともあって、自分の興味が違うところにあることと、このまま一生日本過ごしたいわけではないことに気付いたんです。もっと自分に専門的な知識やスキルが欲しいし、日本の外との係わりのあることをしたいと考えました。

それで、仕事をしながら留学の準備を始めました。大学で学んだのは教育学だったので分野を変える必要があったのですが、卒業後の就職の受け入れ先が広いという意味で経営学修士(MBA)がいいだろうと判断しました。新しいことを学ぶのは好きですが性格的に競争にしのぎを削るというタイプではなかったので、小規模の学校がいいと思ったこと、広い意味でのビジネスを学びたいということで、土地柄公共政策がどのようにビジネスに関わっているかにも強い、ジョージタウン大学の大学院でMBAを取得することにしました。

大学院留学、そして監査法人での3年間

ジョージタウン大学では色々な教科を学びましたが、卒業後は不況だった日本での就職に備えて、安全志向に考えてCPA(公認会計士)とCMA(管理会計士)の資格の準備もしました。しかし、アメリカの会社で働いてみるのも悪くないと思い、シカゴにあったアーサーアンダーセンに就職しました。米国中西部では自動車関係の日系企業が多く、日本人を少数ですが採用していたのです。

主な業務は監査で、色々な業界を学ぶ機会になりました。米国の監査法人は企業の会計の透明性と投資家たちを保護することを目的としたSarbanes–Oxley Act of 2002施行後、利害の対立を避けるため、監査以外の業務を厳しく制限されるようになったのですが、この頃は制限もなかったのでいろいろな仕事、コンサルテイング、内部監査、会計経理代行、管理会計業務などをしました。日本から来た自分が、アメリカの企業で英語を使って専門職といわれる仕事をするということは思った以上に大変で、「顧客の期待を超えた成果を出す」ということを常に心がけて仕事をしていました。できない人には仕事が来ない傾向があるのですが、個人個人に15分ごとのタイムシートがあって、仕事の状況が客観的に見えてしまうし、ある程度それで評価されてしまうんです。同僚はほとんどがアメリカ人で、最初の1年は非常に大変でしたけれど、いい経験になりました。

国連での仕事、そして世銀へ

Yoko Onizuka大学院在学中に国連本部に履歴書を送っていたのですが、卒業して3年ほど働いた頃、「履歴書を更新しますか?」という連絡が国連から来たんです。国際機関に応募したら、返事はまずすぐには来ないと思っていた方がいいですね(笑)。私の場合も忘れた頃に来たその連絡で、たまたま履歴書を更新したことが、国連に入る直接のきっかけになりました。国連にも、監査法人で財務関係のレポートを作ったり、証券取引委員会への報告書を作成していた経験が買われたのだと思います。

国連本部事務局では、国際連合人道問題調整事務所と当時まだ新しい国連機関であった旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷計画予算を担当していました。それぞれ事務所がヨーロッパにあったので、打ち合わせや視察で現地に出張に行くことがありました。予算関係の仕事だったので、数字がわからないと話にならないのですが、国連本部の予算編成は細かくて、非常に具体的な数字まで委員会や追求されたという印象があります。常に様々な計画書や予算書を作成していましたね。やはり国連事務局内の話題と言えば政治や平和維持活動についてということが多く、会議でも世界の縮図のような場面が目の前で繰り広げられたりして、結果として否応なしに政治に興味を持つようになりました。

4年目に入った頃、そろそろ他の仕事もしたいと考えていくつかの組織に応募したんです。同僚から応募要項を教えてもらって、たまたま応募したのがその中のひとつ、世銀でした。例によって返事はすぐに来ず、半年ほどたった頃に面接に来てくださいという連絡が来たんです。面接の結果入行が決まったのですが、その後も内部の手続きのため、実際の入行までにさらに半年ほど時間がかかったのには驚きました。

世銀でのキャリアとこれからの展望

世銀で最初に担当したのは、組織レベルでの予算計画や四半期ごとの報告書の作成。今までアーサーアンダーセンでも国連でも財務の報告書は作成してきましたが、やはりそれぞれ特徴があって、アーサーアンダーセンでは証券取引所に提出するために細かい規定があって、書き方がきちんと決まっていました。国連では政治的な配慮があり、準備はしておくけれども、報告書のページ数も決まっていてあまり細かいところは最初から書かないという習慣がありました。文章で説明をする割合が多く、数字はあまり多くないんです。そして世銀ですが、正直「ここまで必要?」と思ってしまうほど細かいレベルまで数字をきちんと記入する、分厚いものでした。Yoko Onizuka世銀では「自分の考えを持っていることが大事」という文化があることも影響しているのでしょうが、株主、経営陣や上司が変わるたびに報告書も変化するということも特徴ですね。

2006年から現在までは南アジアを担当しています。南アジアがどれだけの開発結果を残しているか、どれだけの融資や業務をしたかなどをアピールして、できるだけの予算を確保することと、四半期ごとの組織内での報告というのが私の仕事になります。

今後の長期的なキャリアを考えたとき、自分は10 ~ 15年という長期的な時間をかけてひとつのことをコツコツと追求するタイプではなくて、3 ~ 5年くらいの中期的な問題を、自分のスキルや経験を生かしながら解決するのが性に合っていると思うんですよね。今後は、世銀内でも外でもいいので、私のスキルを生かせ、今している仕事の延長線上で何かさらに新しい能力を付け加えられるような仕事をしていきたいですね。実は、子どもがひとり障害を持っていることもあって、退職したら障害者のための機関で働くのも悪くはないなぁと思っています。

開発の仕事をしたいと思っている方々へのメッセージ

Yoko Onizuka今振り返ってみると、人生とは自分を発見していく過程だと思うんです。興味を持ったことを追求して、時間や努力をその分野に投資すれば、それができるはず。個人的には、世銀や他の機関、会社に入りたいというのが人生の目的になってしまうのではなく、もっと広い意味で自分の価値観や興味、得意なことを理解して欲しいと思いますね。例えば、世銀に入りたいのならなぜ自分が開発に関係した仕事をしたいのかを考え、自分に投資すれば、将来をより広い範囲で考えることができると思います。

学生時代にきちんと身につけておくべきスキルは、考えて、自分の意見を持つこと。私は残念ながら、学生時代に政治や経済にあまり興味がなかったけれど 日本の状況を考えると、今特に必要なのは、日本の財政政策に正当な意見を積極的に言えるような人だと思うんです。そのためにも、若いうちから経済学をきちんと勉強して、きちんとした知識を身に付けた上で自分の意見を言えるような日本の若者が、これからたくさん出てくることを心から望んでいます。

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