Tomomi Miyajima

大学卒業後、岐阜県の公立高校英語科教員として5年半(職業高校3年、養護学校で2年半)働いたのち、2000年にアメリカ カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA) 教育・情報学大学院留学。比較・国際教育学修士号・博士号取得。UCLA Paulo Freire Institute、Women's Research and Education Institute でリサーチフェローののち、2004年より世界銀行勤務。東南アジア(ラオス)公共財務プロジェクト、社会開発プロジェクトなどを経て現在中東・北アフリカ地域総局にて各国の教育改革を支援するさまざまなプロジェクトに携わる。家族は夫と娘2人(3歳、0歳)。2009年2月に第二子出産後、3ヶ月の産休から復帰。現在は夫が育児休暇を活用して家事・育児奮闘中。掃除に料理に赤ちゃんの世話、どれも器用な夫に負けそうで思わず危機感を抱く、惑える現役ワーキングマザー。

第1回インタビュー 2009年6月23日

宮島智美教育専門官

世界銀行 中東・北アフリカ地域総局 人間開発局

気さくで自然体。人懐っこい笑顔からは人間としての温かみが感じられる。主に高等教育のプロジェクトを率いるプロジェクトリーダーの宮島さん。『今の課題は国際機関の効果的なリーダーシップですね。日本人としての良さを生かしながら自分の意見を(同僚や担当する国々の政府関係に)きちんと受け入れてもらう。プロジェクトのマネージメントばかりに集中していると、技術的な部分を他人任せにしてしまうんです。だからプロジェクトの成果や結果の批判ばかり上手くなって、いざ自分でやってみようと思うと何もできない、なんて人は少なくないんですよ。私はなるべくそうならないようにテクニカルスキルに関しても学び続けるように心がけています。』こう語る宮島さんからは、常に初心を忘れず人生を歩んでいる姿勢がうかがえる。

田舎育ちの元高校教師。自立した女性を目指す。

実は私、元ヤンキー高校の教師なんです。23歳の新米教師にはなかなかチャレンジングな経験でしたね。農業高校で、地元でも有名な底辺校でした。毎日のように暴力沙汰とかで警察のお世話になる事件が起こっていましたよ(苦笑)。いやぁ、本当に激しい日々でした。心身共に消耗し切ってしまった数年後、今度は養護学校(肢体不自由、ADHD、自閉症や精神異常のある中学生)に配属されました。

何故教師になったか?それは私の生い立ちにさかのぼります。私は幼くして両親を亡くしたので、祖父母に育てられたんです。しかも田舎(岐阜と長野の県境)の地域色が強い保守的な環境で、今だに『女性に教育はいらない』『4年制大学なんて時間の無駄。短大の家政科で十分』という価値観が重視される所です。両親もいないとなると周囲は余計に早く結婚して家におさまるのが一番という目で私を見ていましたね。その価値観がどうしても馴染めなくて・・・。学生時代はとりあえず精神的にも経済的にも早く自立したいと思っていて、その環境からどう抜け出すか、という事ばかり考えていました。高校卒業後はなんとか周りを説得して大学進学しました。・・・と言っても決して周知の名門大学に行ったわけではなく、地元の女子大なんですけれど。英文科に進んだので、そのまま英語科の教師になりました。当時は就職氷河期真っただ中だったので、とりあえず女性が長く働けて福利厚生の良い安定した職業を選びたかったんです。思いついたのが銀行員か教員。教師の方が長年働けるかな、という単純な理由で教職を選びました。

自立したい、という願望は育った家庭環境を通じて培われた価値観のような気がしますね。両親が亡くなって以降、親族内の関係を子供ながらに観察していたんです。特に女性の立場について。なぜ多くの女性はその結婚相手によって運命が左右されるのか、って疑問に思っていたんです。自ら自分の人生の生きる「すべ」があれば他人任せの人生は避けられるのではないか。そのような「すべ」があるならば私も身につけたい、って。これがキャリアへの願望の源です。

教え子達への想い、ジレンマ、さらなる飛躍へ。

いわゆる“普通の学校”ではない所で教師をする経験は、じきに教育システムへの疑問へとつながりました。私の教え子達は劣悪な環境に生きながら“学ぶ”機会を与えられず、底辺校に入れられてしまう。痛々しかったのは、そんな中で育った生徒達は自尊心が非常に低いんです。一人一人見るとすごく良い魅力を持っている生徒達なんですよ。一人間として求められるべく能力はそれぞれ持っているんです。ただ残念な事に、その能力は一般的な学校システムでは評価されない。学力的に評価できないけれど独自の力がある生徒達は、それでも認められたい、アテンションが欲しいという願望を暴力という形で表現してしまうんです。こんな毎日を送っていく内に、学力的評価以外を編み出せない学校のシステムに問題があるのではないか、って疑問を持ち始めたんです。

さらには公務員として、日本の政府はとても硬いな、と感じていたんですね。中央政府の決定事項が即座に反映される。ある意味効率的なのかもしれないけれど、本当に生徒たちの為になっているんだろうか?公務員として政府の決定事項を実行するだけという状況にジレンマを感じていました。学校の方針、教育制度に従う、という根本的なストラクチャーは教師ではなく、政府が決める。では政策というのはどうやって決まるのか。一端現場を離れて政策サイドを見てみよう、という願望を抱き始めたんです。これが大学院進学への願望に繋がりました。ただ、この方向転換が何に繋がるか、とまでは考えていませんでしたね。

不安だらけの毎日。ポイントは自分に正直になること。

大学院進学への希望はあったのですが、クリアなビジョンがあったわけではないんです。一歩一歩いつも不安でした。留学してからも、博士課程に進んでからも常に不安で、胸がいっぱいになってしまう事は日常茶飯事でした。公務員を辞める事や留学する事へ不安は隠せなかったけれど、留学がしたいのは確かでした。だから無謀かもしれないけれどやってみよう、と自分の正直な気持を優先したんです。その時にやらなければいけない事をとりあえず頑張ろうって。一つクリアだったのは留学先。ディスアドバンテージを抱える子供たちに対する環境が整っていて、特殊教育が進んでいるアメリカに行きたい、というビジョンはありました。

留学準備は根性&情熱です

留学に関しては育ての親や親せき、すべての人たちから反対を受けました。最終的には合意の元だったのですが、半分振り切って留学してしまいましたね(苦笑)。留学への準備は教員になった時からしていました。次のステップへの準備はどんな仕事をするにせよ、しておこうと思っていましたから。仕事経験も一社会人として社会をしっかりと学べるという意味で必ず3年は続けようと決めていました。3年間あれば多少は貯金も出来ますしね。GRE(※)の勉強も一年半のスパンで準備をしました。仕事前、朝4時に起きてひたすら勉強しましたよ~。今思うと若いなぁ、と実感します(笑)。目的があったのでやれた事なのかもしれませんね・・・。ボキャブラリーがやっぱりネックで、決して高い点数が取れたわけではないんです。だからUCLAに受かったのは点数だけではない、と自信を持って言えますね。何でしょうね、、、“情熱”だと思います。

※GRE (Graduate Record Examination):アメリカ合衆国やカナダの通常の大学院へ進学へ必要な共通試験

博士課程への進学・・・また不安。苦悩と開き直り

当時の英語力は日本の教育で学ぶ程度のものでした。留学一年目は毎日枕を濡らして泣いていましたよー(笑)。『どうして通じないんだろう?』って毎日が苦戦。大学院の勉強は講義よりもディスカッションが多いので、なかなか会話に入れず大変でしたね。読み物も多くて人の倍の時間がかかっていました。ここまでくると、途中から開き直るしかない(笑)!間違っている事を言っていないか、など不安に思うのではなく取りあえず意見を述べる、ということを学びました。私の時代は卓上の英語教育だったんだけれど、最近は答弁をするスキルを養う方向に向かっている、とは聞きます。いい傾向ですね。

博士課程に進んだのは、修士を取った時点で学校から追い出されて何ができるんだ、という気持ちからです。一年半のプログラムだったので、何を学んだのか、具体的身に付いたものが何なのか自信がなかったんです。最近、引っ越しの準備をしていたら昔学校で使ったノートを見つけたのですが、当時の悩みがいっぱいページの端に書かれていました。自分の悩みを何かしらの形で吐き出したかったんでしょうね。もちろん人に相談したりもしましたが、根本的な悩みというのは消えない。だから運動をして気分転換をしてみたり、瞑想してみたりと気晴らしになる事はしていました。ただ、今思うのは、根本的に常に抱いている不安を否定しなくてもいいんです。それが原動力になってこの先の頑張りに繋がるので。

愛を優先!いざワシントンDCへ

何故世銀に入ったのか。お恥ずかしい話なのですが、実はきっかけは当時付き合っていた彼(現だんな様)なんです(笑)。彼もUCLAの博士課程で学んでいたのですが、最終年にIMF(※)インターンが決まったんですね(今は職員としてIMFで働いている)。じゃあ私もワシントンDCにひと夏行き、シンクタンクでインターンをしながら就職活動をしてみよう、と思ったんです。インターン前に教育関係の団体を片っ端から探し、DCに着いた途端それぞれ足を出向いて会いに行きました。当時世界銀行は普通の銀行だと思っていたのですが、よくよく調べてみると教育分野の技術協力もやっているじゃない!これに気づいてからは世銀についてひたすら調べました。DC生活を通じて知り合った世銀職員など数多くの人たちに会いに行き、最終的にその夏が終わる頃にはラオスの教育プロジェクトのコンサルタントの仕事を頂きました。

IMFで働く彼、比較教育に関する興味、そして自分をアピールする能力がうまい具合にバランスが取れたからこそ今の自分に繋がったのだと思います。日本だと自らをアピールをして大きな声を出す、というのがなかなか難しかったり、美徳とされないケースが多々あるとは思います。ただ、世銀のような場所では別。今の若い人たちにはアピール上手になる事をお勧めします。世銀内で生き抜くためだけではなく、ドナーや政府側と話をする際、黙っているだけではまったく相手にされません。効果的に自己アピールをする能力は必須です。私も若い時からこのスキルを養っていれば良かったと思います。

※IMF(International Monetary Fund)国際通貨基金 :通貨と為替相場の安定化を目的とした国際連合の専門機関

結局は「人」相手の仕事

プロジェクトを回す上でコンサルタント(短期で雇う契約職員)を雇うわけですが、数多い応募者の背景は十人十色。その中で誰が一番適しているか、という判断は実は対人能力なんです。クライアントとの関係、同僚との関係がいかにスムーズに効率的なものを保てるか、とういう「人」としての幅が重要になってくるんですね。それは今までどれだけ幅のある人たちと関わってきたか、本当に不利な立場にいる人達の気持ちが分かるのか、という所に表れます。テクニカルなスキルがあっても、残念ながらこの対人能力がないと仕事になりません。このような経験やスキルは履歴書だけでは分り兼ねる部分がありますね。

これから大学・大学院に進学する若い人たちに対して、自分にリミットをかけずに自分の興味ある分野に進み、学校の名前などに限った選択をしないで欲しいと思う。一見、関係ないような事柄や仕事内容かもしれない。でも自分が本当にそれに興味があり、貢献し、その経験から学んでいれば必ずそれが将来役立つものになると思う。いわゆる高校・大学からエリートコースを選んでいないと世銀で働けない、というわけではないんです。自分の興味をたどり、興味の幅を広げ、その事柄を学ぶことで自分を磨く。なるべく多くの情報にアクセスし、知識の幅と深さを追求する事ですね。そういった意味では、政府機関であろうが、一般企業であろうが、三流大学にい行こうが関係ないような気がします。一番のポイントはサブスタンス、“中身”です!

インタビューをしながら、突如旦那さまから電話が入り、3歳になる娘を迎えに行って欲しい、とお願いをする。電話を切った瞬間「とてもヘルプフルな旦那なんです」と笑顔で話す智美さん。子育てをしつつ、数多くの出張をこなししている一児の母。嫌味でもなく、自然な気持ちで「私、今とてもしあわせ」と公言をする。「良いパートナーを見つける事は精神的な安定に繋がりますね」と語る。実はこのインタビューの数週間後、二人目のお子さんをご出産され、今は産休に入られています。

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