Shinya Nishimura

Shinya Nishimura

京都府山科区出身。小学校時代はニューヨークに滞在。1994年に国際基督教大学卒業。同年、東京銀行入行。1999~2001年、トルコにて語学研修及び駐在員として勤務。2001年に同行退職、タフツ大学フレッチャー校に入学し在学中に世界銀行でのインターンを経験。2003年、同校卒業。同年、世界銀行ヨーロッパ・中央アジア地域総局にてコンサルタントとして勤務。2006年には国際金融公社(IFC)にてインベストメント・オフィサーとして入社、再生可能エネルギーをインド・スリランカ・トルコなどで担当。2008年より再びヨーロッパ・中央アジア地域総局エネルギーセクターにて財務アナリストとして勤務。2010年よりタスクチームリーダーとしてモルドバでのエネルギー関連の政策対話・プログラム全般、及びトルコでの省エネルギーに関する政策・プログラムを担当。トルコ・ウクライナにおけるエネルギー関連のプロジェクトの財務アナリスト兼務。

第26回インタビュー 2010年12月21日

西村信也上級エネルギー専門官

世界銀行 ヨーロッパ・中央アジア地域総局 エネルギーセクター

京都出身ならではの関西弁をところどころに交えつつ、苦労もあったこれまでのキャリアをときにユーモラスに語ってくれた西村さん。「いつも深く考えてないんです」と笑うが、トルコへの駐在や大学院留学など、人一倍の努力を要する経験をさらっと語れることこそが彼の強みであり、人を惹きつける理由でもあるのだろう。けして順風満帆にはいかなかった半生をじっくりうかがった。

英検マニアだった中学時代

小2から中1までニューヨークにいたんです。京都の田舎で生まれたので、ニューヨークにも、帰国した東京に対してもかなりのカルチャーショックを受けましたね。ずっと現地の学校に通っていたので、日本語はもちろん数学など他の教科にもあまり自信がなくて、中学の頃はとにかく自己肯定のために英検を受けていました。英検で1級を取ると、次は国連英検を受検。もう半分趣味ですね。このときに国連についても勉強して、「面白いなぁ」と興味を持ったことが、今国際公務員として働いているきっかけになったと言えるかもしれません。

高校は帰国子女が多いという国際基督教大学高等学校を選びました。ただ、女性がものすごく多かったので僕ら男子はすごく立場が弱くて。よく英語と日本語両方で罵倒されていましたね(笑)。ただその分男子の結束は固くて、未だに仲がいいんですよ。英語はライティングから何から徹底的に鍛えられました。入学してすぐの授業で、先生達に言われたことは「自分たちが英語をできると思うな」。提出した英語のエッセイに、真っ赤に書き込みが入って返ってきたことは忘れられないですね。部活はラグビー部とロック部に所属していました。

部活に熱中した大学から銀行に就職

高校卒業後はそのまま国際基督教大学(ICU)に進んだのですが、高校のときに始めたラグビー部の活動が忙しかったというのが、大学での一番の思い出ですかね。本当のところ、大学の課外活動はもうちょっとハードじゃないところに入りたかったんですよ。でも知らないうちに入部手続きが済んでいて、練習表を渡されて(笑)。指をケガするとギターも弾けないので、音楽の方は両立できなくなってしまいました。

国連英検を受けたことなどで興味を持ち、大学では国際政治を専攻しました。就職を意識しはじめた頃に、あるカリキュラムでカントリーリスク分析という授業があって。国ごとのリスクを細分化し、数値化するというものなんですが、「そんな世界の見方があるんだな」と興味を持ちました。たまたまその教授が東京銀行出身で、そんなことをやっている銀行もあるんだな、と面白く思い、銀行と商社に就職活動をした結果、東京銀行に入行することになったんです。

2年間の勤務後、語学研修でトルコへ

Shinya Nishimura東京銀行では、1年目はOJT。2年目からはセールスデスクで為替をやっていました。顧客リストがあって、その顧客相手に先物予約だとか、デリバティブのセールスをやっていたんです。ちょうどその頃東京銀行が合併になって、本店勤務になりました。「そろそろ海外に出る年齢だね」という話になり、自分では「為替をやっているんだから、ロンドンか、ニューヨークか・・・」と思っていたのに、なぜか会社から命じられたのはトルコでの語学研修。ちょうどそのときに婚約もしていたので、まず自分が行って6か月間で家を見つけたり、ある程度言葉を覚えてから日本に帰り、結婚式をあげて妻と一緒にトルコに渡りました。当時は断水や停電が珍しくなく、妻はいろいろと苦労していたようです。

トルコの1年目は語学学校へ。続く2年間を駐在員として勤務しました。事務所にいる日本人は所長と自分だけだったので、何でもこなさなければいけない日々でしたね。ちょうどその頃は、株式市場が前年比平均4000パーセントの成長を遂げるという経済成長期のまっただ中。2年目には大地震が起こって顧客の安否確認に駆け回ったり、経済危機が起こったりと、とにかく忙しい日々でした。トルコの人々はなにわ節というか、とにかく義理人情にあついんですよ。大地震のときも、いままで受けてきた恩に応えようと所長が義援金を集めて会社の名前で支援団体に寄付をしたんですが、大変感謝されました。これが初めて国際協力に関わった経験かもしれません。

時間をかけた大学院留学準備

イスタンブールで都合3年間を過ごし、日本に戻ってある建設会社に出向していたんですが、前々から考えていたこともあり、半年ほどで退職して大学院へ進学することを決意しました。為替の仕事をしていると、例えばマーケットの動きとして、こう動くと結果としてこうなる、ということは叩き込まれるんです。でも忙しさのあまり、なぜそうなるのかを深く考える暇がない。大学でもあまり勉強したという思いが無かったので、一度腰を落ち着けて勉強したいと考え始めていました。実は、トルコに行く前に一度合格していたんです。その時は悩みましたけど、まったく新しい言語を覚えるのなら若いうちの方がいいと思ってトルコに行くことを選んだという経緯があったんですね。

でも、トルコにいる間にも大学院に行きたいという思いは持ち続けていて、GREやGMATはかなり計画的に時間配分をして受けたりということはしていましたね。働きながら大学院受験を目指すと、あまり寝られないというような生活にどうしてもなりがちですが、ある程度長期的に考えて何もかも一気にやろうとしなければ、少しは負担が減るかもしれません。

Shinya Nishimuraそれで、再受験して合格したのがタフツ大学フレッチャー校。その頃には、開発をやりたいという思いは自分の中で固まっていました。実はトルコ駐在中にトルコ語を勉強するためにニュースは欠かさず見ていたんですが、ある日「最先端技術を導入」というニュースの直後に、「ある村で井戸を掘ることができて、きれいな水が使えるようになった」というニュースが流れたんです。最後のカットで、牛が泥水を飲んでいるシーンが映るんですが、カメラが引いていくと手前でその水を子どもも飲んでいる。トルコは貧富の差が激しいところなんですよね。それを見たときになぜかものすごく腹が立って、3日ぐらい誰とも口を聞けませんでした。こういう状況を何とかできるならば何とかしたい。その思いと、自分のキャリアを無駄にせずに貢献できるという思いで、開発金融の道を目指すことにしたんです。

「切ない」思いをした大学院時代

大学院に入った頃にはもう30前後になっていて、授業についていくために2時3時まで勉強するわけですよ。でも、26、27歳ぐらいの天才がいるんですねえ。彼らは「寝ないとパフォーマンスが悪い」とか言って10時ぐらいに寝ちゃうわけです。こっちは実務経験もあるし、会社では部下もいたのに「ごめん、コーヒーおごるからコレ教えて!」。本当に切ない話です(笑)。

1年の夏に世界銀行でインターンを経験したんですが、これが決まるまでがまた大変で。普通、大学院生の夏のインターンは11月ぐらいまでに決まるんですが、僕は2月まで決まらなかったんです。もう、「東京に帰って炊事洗濯しながらコンビニで働こうか」と一時は真剣に思い詰めましたよ。そんなときに参加したあるワシントンDCでのフィールドトリップで、世銀の日本人職員の方と偶然お会いしたんです。本当にたまたまなんですが、その方が「トルコで財務分析ができる人が必要だから」と言ってくださって、インターンに参加することができました。卒業後の就職も苦労しましたね。ざっと日米60社ほどから「この度はご縁がありませんでした」という旨のメールが届いたんです。もう31ぐらいでしたから、ポテンシャルで取ってもらえる年じゃない。悶々としていた頃に、インターンでお世話になった方に、コンサルタントでよければ来たら?と言って頂いたので、世銀に入行することになりました。

就職活動の結果、晴れて世界銀行グループへ

入ったはいいけれど保険もないし、妻も呼べない。1年間コンサルタントとして勤務したんですが、大学院時代と合わせて3年間妻とは別居生活でした。本当に頭が上がりませんよね。このまま続けてもいいのかという疑問もあって1年後には東京に戻り、また就職活動をして今度は無事、某外資系企業からオファーをいただいたんです。妻に意見を聞くと「国際機関でまだやり残してることがあるんじゃないの?」と言ってくれて、世銀で続けることにしました。その頃にはもっと安定したポジションになっていたのでようやく妻を呼び寄せることができました。

Shinya Nishimuraその2年後には国際金融公社(IFC)に移ってスリランカでの新エネルギーを使った小型発電など、再生可能エネルギーに関しての仕事を担当。その後、現在所属している世界銀行のヨーロッパ・中央アジア地域総局のエネルギー担当部署へ移り、エネルギー全般の政策担当と投資案件を担当しています。現在はモルドバ共和国でのエネルギー全般に関する政策対話とプログラム全般、トルコでの省エネルギーに関する政策やプロジェクトをタスクチームリーダーとして担当。トルコ語はビジネスに関する話はできますが、日常会話になるとお手上げ。逆に妻は、トルコ語で交渉させたら天下一品ですよ。トルコ人のおじさんが半泣きになります(笑)。

「自分の言葉に責任を持つ」ことの重要性

開発学って実は意味が無いと僕は思っているんです。つまり、経済とか統計とか各分野の専門家が、ちょっと視点を変えてやっているのが開発。ですから、若い人たちには何か自分のコアになるものを見つけて、それを追求して欲しいと言いたいですね。ファイナンスでも教育でもいいので、自分の興味がある分野で正しい知識を身につけ、自分の考えを深めていって欲しい。国際機関にいると、毎日のように自分の責任の重さを実感しますし、それゆえ自分の発言や書いたものには非常に気を使います。例えば統計を一つとっても、ただデータ処理のやり方ではなく、その数字が表わしている人々の生活を意識しながら総合的に考えられるような専門性と知見を備えてほしいと思います。ですから、知識と専門性を身につけた上で、責任を持って仕事をする姿勢がとても重要だと思います。

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