Masaki Takahashi

Masaki Takahashi

愛知県西尾市出身。1978年東京大学教養学部基礎科学科卒。1980年東京工業大学総合理工学部エネルギー科学専攻修了。同年電源開発(株)入社。1985-87年米国電力研究所(EPRI、パロアルト)へ派遣。1990-92年、マサチューセッツ工科大学(MIT)エネルギー環境政策センターに派遣研究員として滞在。1996年世界銀行に上級電力エンジニアとして入行、現在に至る。ヴァージニア州マクレーンに居住するも一年の100日ほどは不在。本年7月には次女と自転車で九州縦断後、屋久島にて皆既日食観測計画するも曇天にてできず、次回に期待。トライアスロントレーニングチーム”Team Z”に所属し、本年トライアスロンレースを7回完走。

第6回インタビュー 2009年10月5日

高橋正貴上級電力エンジニア

世界銀行 持続可能な開発総局 エネルギー・交通・水局

とにかく元気である。「クタクタの背広を着た疲れたサラリーマン」というフレーズを払拭してくれる。世銀オフィスから約20km離れたヴァージニア州マクリーンからほぼ毎日、自転車通勤をしているらしい。「自転車の事は何でも聞いてください」とおっしゃる高橋さん。そのエネルギーは自転車に留まる事なく、大学のトライアスロンチームに所属する長女摩璃亜さんに感化され、半年前から地元ワシントンDCで自らトライアスロンのトレーニングに励んでいるそうだ。インタビューの当日も、朝5時半から水泳を1時間こなし、自転車で出勤。体を動かし心身共に健康を保ちつつ、毎日エンジニアとしてエネルギーや環境テクノロジーに関する政策を取りまとめている。クリーン・エネルギーを目指し、環境工学等のエネルギー関連プロジェクトのテクニカルサポートも行っている。従事してきた国は中国、トルコ、ボツワナ、インド、ジャマイカ、レバノン、インドネシアなど数多い。

興味を追求、仕事に直結。日本の電源開発に貢献

現在働いている分野への情熱は小学時代にさかのぼります。当時アインシュタインの伝記を読み感銘を受け、いつしかドラえもんの4次元ポケットが出来るんではないか、と夢見ていたんです。その興味は失われる事なく、大学選びの段階で何を勉強したいかはなんとなくイメージが出来ていました。大学は早稲田大学理工学部で数学を勉強するか、東京大学教養学部で物理を学ぶかで迷い、一度早稲田に入学したんですが、再受験をして東大へ進学しました。何故かと言うと、アインシュタインの相対性理論、それに続く量子力学をきちっと理解したかったから。勉強をしていくうちに、次第に純粋理論から応用物理、さらにはエネルギー工学へと、実用に近い分野に興味がシフトしていったんです。大学院への進学は迷わず決めて、東京工業大学で核融合の研究をしました。

大学院を卒業した後は電源開発株式会社(J−POWER)に就職しました。初めての勤務先は長崎県松島の火力発電所でした。松島は昭和56年(1981年)に電源開発松島火力発電所が創業を開始して、輸入された石炭による火力発電が行われるようになったんです。島へは船で毎日通っていました。生まれてそれまでまったく海外に縁のない生活だったんですが、海の外という意味で松島が始めての海外勤務でした(笑)。隠れキリシタンが住んでいた村落からさらに西彼杵半島の奥に位置する松島で唯一西欧の香りを保ち続けたのは、その船でTime誌を購読していた事ですね。いやぁ、横文字で書かれたものを手にしていたら格好イイかなぁ、と思いましてね(笑)。特に学生時代に海外経験があったわけではなかったのですが、いつか外に出てみたい、という気持ちはあったと思います。

Masaki Takahashi松島には2年間勤務したのですが、発電所の建設から運転保守まですべてを学ぶことができました。化石燃料を燃焼させる火力発電所からは大気中に酸性雨の原因となる硫黄酸化物(Sox)や窒素酸化物(NOx)が排出されるんですが、燃料の産地によって、煤塵が少ないとか、NOx/SOxの排出量に違いがあることも学びました。オーストラリア、南アフリカ、中国、カナダ、そして米国と、色んな産地の事情を調べましたね。

自分の希望は根気良くアピール。行動力も大切

初めて海外で仕事をしたのは入社して5年目。当時の上司には嫌という程海外勤務希望をアピールしましたよ(苦笑)。見事願い叶って米国カリフォルニアにある電力研究所(Electric Power Research Institute)に派遣されました。ここではボイラー、タービン(蒸気で回転する原動機)などの石炭火力発電所の性能向上プロジェクト(Improved Coal-fired Power Plant)に貢献しました。

その後、数年日本へ戻りましたが、1990年、今度はは米国マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)にあるエネルギー・環境政策センター(Center for Energy and Environmental Policy Research)に客員研究員として派遣されました。ちょうど1992年にリオデジャネイロ(ブラジル)で地球サミットが開催されて、地球温暖化や気候変動が取り沙汰されたんですよ。これに伴い、将来的に石炭火力なのか、原子力なのか、それとも再生可能エネルギー(太陽・水力・風力など)がいいのか、など気候変動に関する科学、経済、政策に関わる研究をしました。

日本のみならず、世界基準のエネルギー政策を目指す

そんな仕事に従事して早16年程経った時、硫黄酸化物(SOx)を減らす脱硫装置、窒素酸化物(NOx)を減らす為の脱硝装置を使いそれぞれ10ppm以下に抑える、という横浜市のプロジェクトを電源開発は手がけていました。日本におけるこの排煙の数値は非常に基準が厳しいもので、その分、日本の排煙処理技術はコストも非常に高いものでした。まさに経済用語でいう「限界効用逓減の法則」です。その時、これだけのコストをかけて日本一国の排出量を追及するよりも、その半分以下のコストで発展途上国に少しでも多くの装置を設置したらどんなに地球全体として貢献できるだろうか、と痛感したんです。この時、国際機関での仕事を初めて意識するようになりました。

日本へ帰国後は、国際エネルギー機関(IEA:International Energy Agency)との仕事に従事しました。IEAは石油産出国の利益を“守るため”に出来た石油輸出国機構(OPEC:Organization of the Petroleum Exporting Countries)に対抗して出来た機関で、エネルギーを“使う側”の機関なんです。いかに安定して且つコストを抑えてエネルギーが使えるか、を考える所。エネルギーを“使う側”=主に電力会社や製鉄会社からなる石炭産業諮問委員会として、IEAへのアドバイザリーを行っていました。

そんな中、先ほども話したように国際機関で働きたい、という希望はあったので、ワシントンDCにある電源開発のオフィスと相談をして、世銀の知人に履歴書を送ってもらいました。これが運よく今の仕事につながりました。

いざ国際機関へ。ポイントは自分を信じて自己アピールする事

Masaki Takahashiちょうど今始まりそうなプロジェクトがあるんですが、それはボツワナ共和国に発電所を作るものです。ボツワナは今まで隣国の南アフリカから電力を調達していたのですが、近年、南アフリカ国内の電力需要が増加した為(サッカーのワールドカップも予定していますし!)、隣国への電力輸出をカットし始めたんです。そこでボツワナ政府が世界銀行へ支援を依頼してきました。また南アフリカも自国の電力需要を賄うため、大規模な石炭火力発電所の融資を世界銀行に依頼してきました。自分の専門性、知識、経験がこれらプロジェクトにも非常に役立ちそうですね。

アメリカやその他海外で自分の専門分野を追及し、仕事をしていく上で意識しないといけないのは、キャリアを考えてくれる人事部門がある日本と違って自分から積極的にキャリア形成をしていかなければならない、という事です。世銀に入った当初は自分の専門性が誰にも知られていない中、自分の売り込み方がわからず、仕事をこなすことでいっぱいだったのを覚えています。フラストレーションも多く、精神的に弱ったこともありました。しかも、世銀が融資する電力案件は、私が専門とする石炭を始めとする化石燃料による発電プロジェクトよりも、送電線、再生可能エネルギー、省エネプロジェクトにシフトしていきました。それこそ仕事の数自体減っていた時で、「どうやって家族を養っていけるのか」と精神的に疲労困憊でした。でも根気強く、少しづつプロジェクトに関わっていくうちに、そこから人脈が広がり、どんどん仕事につながっていき、今では仕事の依頼が多くて選んでいるほどです。忙しくても仕事の質は保ちたいので、量をこなすよりも、丁寧な仕事ができるよう泣く泣く断るプロジェクトもあります。この辺はプロとしてのプライドですね。

今の若者達へ

これからキャリアを形成している若い方々には、男女ともにもっと社会貢献や海外へ進出して活躍して欲しいですね。日本の会社はとても面倒見が良いけど、それ以上に得られるものがあるはず。困難も多いけど、やりがいもその分大きいんです!

Masaki Takahashiインタビューが終わりに差し掛かっていた矢先、携帯が鳴り愛娘の摩璃亜さんがオフィスに着いたとの連絡が入った。「よく娘と帰宅するんですよ。自転車を走らせる時、先行走者がいると風の抵抗がなくなって後ろの人は楽に走れるんです。」と説明をしてくれた。その笑顔は先ほどとは違い、自慢気な父の顔になっていた。

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