Keiko Inoue

1995年ペンシルバニア大学(UPenn)卒業。パキスタンとグアテマラに計三年間、教師として滞在。1998年、スタンフォード大学にて修士(比較国際教育・政治学)と博士号(比較国際教育)のプログラムに進学。在学中、論文の調査のためWHO(ジェネーブ本部)にてインターン。2003年に卒業後、准教授としてスタンフォード大学に就職。2005年、世界銀行東アジア・大洋州地域総局教育セクターに入行。一年後に正規職員として アフリカ地域総局教育セクターへ転入。現在は主にエチオピアとルワンダの教育制度の発展を目標に、国際開発協会(IDA)資金や「万人のための教育(EFA:Education for All)ファスト・トラック・イニシアティブ(EFA-FTI)」のグラントを政府とドナー達共に管理。ルワンダでは政府からの依頼に応じて、1994年のジェノサイド以降の教育発展をまとめた国別状況報告(Country Status Report)を調査中。夫と息子とワシントンDCに滞在。

第3回インタビュー 2009年8月4日

井上景子 教育専門官

世界銀行 アフリカ地域総局 人間開発局

『こんにちは!』という歯切れの良い第一声には、井上さんの持つポジティブなパワーがみなぎっていた。ハキハキとインタビューの受け答えをする姿には自信と情熱が感じられた。凛としていて笑顔がいっぱいで、“一緒にいてエネルギーが沸く人”とは井上さんのような人のことを言うのではないだろうか。『学生の時も今も、分からない事があったら周囲に聞いちゃうんです。』と語る彼女の強みは、アドバイスを実行に結びつける行動力、そして自然と周りが手助けしたくなるような、明るく素直な性格かもしれない。井上さん、若者への印象的なメッセージをありがとうございます!

教師として現場で感じた“教育の面白さ”

私、帰国子女なんですよ。幼い頃から転々と色んな国に住んでいました。育った環境のせいか、何事も目が向くのは自然とグローバルな舞台でしたね。アメリカの大学で教育学を学んだんですが、卒業する前にある就職フェアに参加したんです。そこでグアテマラの学校から来ていたリクルートの方に『1年でもいいから、教師の経験をしてからおいで』と言っていただいて。そこで、経験がなくても雇ってくれる団体を見つけ、卒業後まずはパキスタンの私立小学校で1年ほど教師としての経験を積みました。1年を終えた段階で、アドバイスをもらったグアテマラの学校の方に連絡を取り、今度はそこで2年間、1年生と4年生の生徒を教えました。やっぱりパキスタンとグアテマラでは環境も文化も違うから、色んなことを学びましたね。このときに、政策レベルで教育について勉強したいと思ったんです。調べてみたらスタンフォード大学に比較国際教育のプログラムがあったので、修士のプログラムを受験して進学。1年間の修士だけでは物足りず、気がついたら PhD(博士号)の受験をしていました。

過去最大のピンチから学んだ大切なこと

挫折ですか?博士論文を書く為の奨学金に応募して、落選の通知を受けた時はショックでしたね〜。自分の研究内容はその財団のテーマにぴったり合っていたし、受かる自信があったんです。数日間かなり落ち込みましたよ。でも、そんな時に元気付けてくれたのが教授でした。『アカデミアの世界を含め、現実の社会ではこんなのしょっちゅうあるんだから。しっかりしろ!』と。その後、教授のアドバイス通り、ストラテジーを組みなおして別の財団に応募しました。幾度かトライを重ねて、徐々に調査費用が確保できたんです。

今でも落ち込んだ時は教授の言葉を思い出しますね。くじけそうになる時、自分が受け入れられなかった時は、自分を責めるのではなく、逆にそんな経験から学べるものを吸収しようと心がけています。人生のどの時期にも共通して言える自分の強さは“根気”と“楽観主義”。このふたつで、今まで色んな困難を乗り越えてきたと思います。

縁が切り開いた世銀への道

博士課程で学んでいた時には、世界銀行で働くなど考えてもいませんでした。ただ、世銀のヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)を受験することを教授に勧められ、言われた通り受けてみたんです。最終審査の面接まではいったものの、残念ながら結果は不合格。最終的にYPに決まらなかったことを同じスタンフォード大を卒業した先輩に話したところ、それならばコンサルタント(Extended Term Consultant:ETC)で世銀に来ないかとお誘いを受けました。この時、実は国連の競争試験に受かっていたのですが、その先輩と働きたいと思って彼からのオファーを取ることにしました。

人生の優先順位をつける

心の平和を保つには運動が一番!走る事と泳ぐ事は欠かせません。今年はサイクリングにも挑戦しようと思っています。人生、壁にぶつかった時はいつも思うんです、この問題は自分の家族より大切?健康よりも重要?私の幸せって何?ってね。そうすると、大体いつも人生で本当に大事なものを優先する判断にたどり着きます。

私には3歳になる息子がいるんですが、子育てに協力的な主人にとても感謝しています。ワシントンからの出張で現場によく行くのですが、政府やパートナーシップを組んでいるドナー達とのやり取りは面白くても、長期出張の時はさすがにホームシックになります。そんな出張の多い私の生活を支えてくれる主人がいてありがたいな、と痛感します。過去にも私のキャリアを優先する為に、自分は仕事を辞めてワシントンDCに引っ越してくれたんですよ。ただ、私も自分の人生で優先したいものは家族だってはっきりしているので、出張にしろ、ミーティングのスケジュールにしろ、私生活になるべく響かないように調整は欠かしません。仕事と私生活のバランスを取るには、それなりに努力が必要ですね・・・。

今の若者たちへ、「坊主頭」になってみて下さい

高校・大学時代は、とりあえず色々なことに挑戦しました。ラグビー、模擬国連、ボランティア活動、スカイダイビング、陶芸などなど。その中でも両親の度肝を抜いたのは20歳の時。突然頭を剃ってみたんです(笑)。そう、丸坊主!理由は簡単。その時にしか出来ないことをやってみよう、って。改めて考えてみても、今は絶対にそんなこと出来ないですよね。同僚やクライアントが絶句しちゃいます(苦笑)。そう考えると、まさに20歳だからこそ出来た“坊主頭”。やってみて本当に良かったと思っています。

昔は働くなんて想像すらできなかった世界銀行で、今こうして働いていることを非常に光栄に思いますね。今までの人生を振り返ってみると、私はただいつも『とりあえずやってみよう』と心がけていたような気がします。今のこの生活は、挑戦なくしてはなかったものなので、これから人生を切り開く若者達には『挑戦することの大切さ』を是非伝えたい。やりたいこと、興味あることにまずは挑戦してみて下さい。新たな事への挑戦の過程で出会う葛藤や難関を通して人間性を養い、そして満足できる仕事に就いて欲しい。

考えてみてください、みんなにとっての"坊主頭体験"は何ですか?

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