Kazuki Itaya

Kazuki Itaya

東京生まれ。幼少期のほとんどを日本以外の国で過ごす。米国ウィスコンシン州立大学マディソン校経済学部卒業。スイス国立大学大学院経済学(MA)修士及び国際法学博士(JD)、イスラエル国立ヘブライ大学経済大学院ゲーム理論の応用経済学研究過程、英国ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で経済学博士号取得。 米国ハーバード大学経営大学院・エグゼクティブ・プログラムを修了。OECDアナリスト、英国王立国際問題研究所研究員、国連安全保障理事会経済担当官、 LSE講師を経て2000年にヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)で世界銀行入行。中東・北アフリカ地域総局エコノミスト、パレスチナ西岸・ガザ地区担当業務官、スーダン常駐代表、ソマリア平和交渉担当上級エコノミスト、アフリカ地域紛争後復興・平和支援担当上級エコノミストを経験。 2010年1月よりイノベイティブ・ファイナンス統括局上級エコノミスト。出張の合間にはワシントンDCのジョージタウン大学、ジョージ・ワシントン大学、バージニア州のジョージ・メイソン大学などで経済と紛争に関する講義もしている。

板屋和樹さんは、闘病の末、2011年9月26日に永眠されました。板屋さんへの追悼として、このインタビューを英語に翻訳しました。板屋さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。English >>


第36回インタビュー 2011年7月19日

板屋和樹 上級エコノミスト

世界銀行 イノベイティブ・ファイナンス統括局

「他の皆さんのように志が高かったわけではないので自分のことを話すなんて恥ずかしい」と謙遜しながらインタビューの席に現れた板屋さんだが、話が進むにつれてインタビュアーが涙する場面もあるほどに、仕事や開発に向ける真摯な思いがその言葉の端々から伝わってきた。「1年に1度、自分のことを振り返る時間を作っている」と語る板屋さんの、まっすぐでひたむきな姿勢には誰しも感銘を受けることだろう。今までのキャリアから専門とする紛争と経済の意外な関係までを語っていただいた。

6か国を転々としていた幼少時代

幼い頃から父の仕事でいろんな国を転々としていたので、物心がついたときには日本の外にいたという感じで、日本人・外国人という意識や境界線も自分の中ではほとんどありませんでした。アメリカで過ごした中学、高校時代は一生懸命に勉強したというよりは、卒業するまではあちこち旅に行ったり、スポーツをしたり、ピアノやオイルペインティングなどに夢中になっていましたね。正直なところ、国連や世銀などの国際機関にはまったく興味がなかったですし、自分とは関係のない団体だと思っていました。

将来の展望を一変させた悲しい出来事

それでも、一応数学は得意科目だったので、将来は金融系に進んで投資銀行などで働けたらいいかな、ぐらいに漠然と考えていました。ウィスコンシン州立大学で経済学を取ったのも、必修科目だからという理由ぐらいであまり深い考えはなかったんです。そんなときに大学で出会った当時のパートナーは、イスラエル出身の医学生。「医学の実地研修のインターンは祖国でやりたい」という彼女と一緒に過ごすために、応用数学の奨学金を取ってイスラエルの大学院に進みました。当時は博士号を取ったら就職に有利とかそんなことはまったく考えていなくて、純粋に知識を得ることが楽しかったんです。次はどうなるんだろう、というふうに、好奇心の赴くままに勉強を続けて大学院まで行っていたという感じですね。

彼女の父親も医者で、休日にはよく彼女と一緒にパレスチナ地区に行って、人々に無料で往診をしてあげていました。もちろん偉いなぁと尊敬もしていたんですけど、正直なところなぜそこまでするのか理解できない部分もあって、彼女にその疑問をぶつけたことがあるんです。「人は誰でもひとりひとり特別なものを持って生まれてくる。それに気付かずに過ごしてしまう人も多いけれど、その特別なものに気付いた人は、何か自分よりも大きなもののためにそれを使うべきだと思う」というのが彼女の答えでした。しかしある日、いつものように近所のコーヒーショップにコーヒーを買いに出かけた彼女は、爆弾テロに巻き込まれて命を落としてしまったんです。

そんなふうに突然大切な人を失うという経験は、辛いものでした。気持ちに区切りをつけるものがなくて、約2年間、怒りや憎しみ、罪悪感など、人としてマイナスな感情ばかりに浸って過ごしていました。そして3回忌のとき、彼女の母親に「今のあなたは、あの子が愛していたあなたじゃない」とはっきり言われたんです。はっとしました。「もう一度、彼女が誇りに思ってくれるような人間になりたい。そのために自分に何ができるだろう?」と考えたとき、紛争に巻き込まれて人生を立て直そうとしている人たちの助けになったり、紛争そのものを未然に防ぐ手伝いをするような仕事ができないかと思いました。

やりたい仕事を求め国連から世銀へ

Kazuki Itayaそれで国連に入ったんですが、働いてみて感じたことは紛争への介入の仕方が応急処置的であるということ。遠く離れた土地で話し合っている時間がとにかく長く、介入するタイミングも紛争が大きくなってからと、自分としては納得がいかない部分が多かったですね。2年ほどいる間に色々と他の組織をリサーチした結果、世界銀行ならば自分のやりたいことにより近いことができるんじゃないか、と思いました。ヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)のことは全く知らなかったんですが、同僚がこんなプログラムがあるよと教えてくれて、応募してみたのが世銀に入ったきっかけです。選考期間がとても長いので、正直プロセスの最後の方では応募したことも忘れかけていたほどですが(笑)。

世銀に入行して、最初に配属されたのは貧困削減・経済管理総局(Poverty Reduction and Economic Management Network: PREM)。そこで研究をしているうちに、提出する書類や会話などから徐々に「紛争に関わる仕事がしたい」という僕の希望が周囲に伝わって、中東・北アフリカ地域総局で仕事をするようになりました。ガザ地区の局長から「ぜひ来ないか」という打診が来たときは、色々な思い出がある土地ということもあり最初は複雑だったのですが、「いつかは直面しなければならない過去でもあるし、もしかしたらそういう機会なのかな」というふうに自分を説得して、応じることに決めました。

紛争の経済的平和交渉って?

紛争関係の経済再建に関わる仕事は、花形の仕事ではないし危険も伴うのであまりやりたがる人がいない。家族や子どもがいる人はできれば現場に行きたくないでしょうし。ヘルメットをかぶったり、防弾チョッキを身につけて仕事をすることもよくあります。もう一種の特技ですね(笑)。そうすると、組織の中のそういう仕事が次々に回ってくるんです。

Kazuki Itaya世銀が1983年頃一度撤退したスーダン(注)に、再びオフィスを開いてオペレーションを始めるというプロジェクトの立ち上げに関わったこともありました。平和交渉というのは、テレビを見ていると外交官などが政治的な交渉をしている場面が多いと思うんですが、実際半分以上は経済関連の交渉になります。経済が紛争を解決する糸口になることも多い。例えばスーダンの場合だと、石油の利権を南北でどうわけるか?モニタリングのシステムをどのように使えば双方にとって公平か。北はイスラム教で南はイスラム教ではないので、政府と中央銀行はひとつだけれど銀行のシステムは2つあるのをどうするか?など、政治的な交渉では解決しない問題が多くあります。こういった細かい問題を棚上げして、政治的交渉のみで合意に達しても、4〜5年するとまた紛争状態に戻ってしまう事例が世銀のレポートでも数多く報告されています。

2つの対立していた団体が政府をひとつにしても、お互いのことを信用できるようになるまでは時間がかかるので、一緒に何かをやろうというのは難しい。大抵、国が抱えている課題を解決できません。今の国際社会の介入の方法は、政治的なものが主流で経済は後回しといったケースが多いですが、今後は経済面で助けになれる場面をもっと増やしていきたいですね。

常に自分に正直であるために

Kazuki Itayaこの仕事をしてきて思うのは、「世界を変えることはできないけれど、組織として世界を変えるきっかけとなるようなことは始められる」ということ。世銀も大きな組織ですから、組織内の政治というのもあって、プロフェッショナルとして自分が正しいと思うことをやり通すと高い代償がつくこともある。上司や周りの流れに沿った方がラクだし、うまく回ることだってあります。そこは常に迷うところですね。でも、そういうときは「なぜ、何のために自分はこの組織にいるのか」を思い出すんです。毎朝鏡の前に立って自分の顔を見るときに、まっすぐ自分を見つめられるようにしたい。できなくなったらこの組織にいるべきではないと思いますし、自分が信じていることと、組織内部の方向性があまりにもかけ離れたときには、自分は別の場所に移ろうと思っています。

ただ、世銀で働き始めて12年になりますがまだここにいたいと思うのは、非常に優秀で情熱を持って仕事をしているスタッフたちがたくさんいるから。そういった人たちと一緒に仕事ができる自分は幸せだと思いますし、そんな彼らが集まってきて仕事をしたいと思う世銀は、組織として素晴らしい場所だと思います。

仕事の合間にジョージタウン大学、ジョージ・ワシントン大学、ジョージ・メイソン大学などで講義をしているのですが、大学側からの講義依頼は時間の許す限り受けるようにしています。というのも、自分が学生のときに最も刺激を与えてくれた教授は、不思議とフルタイムの教授ではなく、週1回講義に来ている経済学者などでした。自分の視野を大きく広げてくれた教授たちにとても感謝していますが、直接彼らにお礼をすることもできないので、彼らがしてくれたようなことを自分が次世代にすることは、自分なりのささやかな恩返しなんです。

開発の仕事をしたいと思っている方々へのメッセージ

Kazuki Itayaまず言いたいのは「あきらめないで」ということでしょうか。人生の中で何が起こるかというのは、自分で思っているよりもコントロールが効かないもの。何かが起こったあとに自分がどういう行動を取るかはコントロールが効くんです。転んでしまったときに、辛いからといってそのまま地面に倒れてしまうのも選択肢のひとつですし、起き上がって頑張ることも選択肢のひとつ。自分の今までを振り返ってみて、成功と失敗の違いというものがもしあるとすれば、何回転んだかは重要ではなくて、「途中であきらめたか」と「最後に起き上がって頑張ったか」の違いでしかない。最終的にあきらめずに頑張れば、人生に失敗なんてないと僕は思います。

そして人の言葉を借りる形になってしまいますが、「人は必ず生まれながらにして特別なものを持っている。その力を、自分自身よりも大きなもののために使って欲しい」ということを最後にもう一度伝えたいです。そういう人生は簡単でも楽でもないかもしれませんが、必ず自分を成長させてくれる有意義な生き方であると信じています。

(注) 20年以上にも及ぶ内戦後2011年に住民投票が行われた結果、南部スーダンの分離独立が決定され、2011年7月に南スーダン共和国として新しい国が誕生しました。

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